コラム ある蒐集家の死

 

そのコレクションを初めて目にしたのは、平成14年の5月、日本橋高島屋でのことであった。たまたま買い物帰りに通りかかった催事場で、もともとミニチュア好きということもあり、入場料を払って見る事になった。

「美似の日本展」と銘打たれた展示会は、今清水英一氏が50年近くの歳月を費やし蒐集した、主に江戸時代の武具、農具や職人道具などのミニチュアを中心としたコレクション群である。

額面の中に丁寧にそして丹念に飾られたそれらの品々は、氏のコレクションにかける並々ならぬ情熱とともに、鬼気迫る迫力さえ感じさせるものであった。

ここで今清水英一氏の略歴を紹介しよう。

氏は、大正13年4月4日、東京市本所区生まれ。早稲田大学在学中に軍役を経た後、新東宝映画において、芸名・泉田洋志で俳優として活躍。また、江戸時代のミニチュア・グッズを「美似」となづけて、約4万点のコレクションを持っている

日本橋高島屋で展示会をしたときには、すでに80歳近くであったのだから、氏の行動力には本当に頭が下がる。最終的には、これらコレクションを保存・展示できる博物館を建立するのが夢と著書で語っておられたが、おそらく実現前に逝かれたのだろう。

氏亡き後、これら膨大なコレクション群は、チョコエッグなどのミニチュア玩具やFSSのガレージキットで知られるモデルメーカー「海洋堂」に寄付されたらしい。

是非にもう一度この目で貴重なコレクションを拝見したく、展示会を企画してもらいたいところである。

何にしろ、ものは違えど同じコレクターとして、氏の情熱には畏敬の念を禁じえない。氏の著書を読めば分かるが、その情熱の原動力となっているのは、祖国愛、郷土愛、家族愛に他ならず、憂国の念に溢れているのである。

幼少時の職人衆との触れ合いや、士官学校時代の経験が、職人道具や農具、ひいては茅葺建築などの日本建築への強烈な哀愁と愛着が支えているのである。

振り返ってみると私も同様の立場にいることに大変な親近感を覚え、また危機感を覚える。
 私の故郷青森県の八戸では、少なくとも平成を迎える直前まで、学校での暖房は石炭ストーブであったし(石炭当番や薪割り当番が決められていた)、現役の茅葺民家も点在していた。

しかし、コンクリートとアスファルトに塗り固められた現在の環境の中で、先人達の築いてきた遺産を目にすることはほとんどないし、郷愁を感じる事などほぼ不可能である。

また、教育しかり、戦後の左翼教育の中で愛国心という言葉は、軍国主義と同一視され語られる事もなくなった。偽りの自由と平等という幻想のもと、日本の古き良き伝統と文化は、現在進行形で破壊され蹂躙され続けている。

私は以前、お土産キーホルダーの衰退した原因を、携帯電話とインターネットの普及であると言及したが、さらにその精神性を辿れば、祖国愛の欠如というところに帰結するのではないかと思っている。
 祖国の歴史を正しく認識し、ご先祖様を心から敬う気持ちがあれば、ゆかりある地を訪ねたくなるであろうし、その記念を残したいという想いにも至ろう。それは、本人が意識しようとせざると、自然と行動に現れるものであろう。

「天国とは、畳の上で、白いご飯に味噌汁、親子兄弟、仲良く談話し、食卓を囲んでいるこの光景。これが天国でなくて、天国はどこにあるのであろう。暖かい家庭こそ、この世の天国なのである。(中略)その時の「家」。囲炉裏、薪、黒い鉄鍋、がっちりした障子。日本伝来の家と人がそこにあった。その姿を髣髴とさせる全ての光景と、これら青春の日々の出来事とが一つの激しい印画紙をつくり、今なお私の心の中に、くっきりと焼きついて離れない。」

『日本のミニチュアコレクション 美似の世界』今清水英一・著より抜粋

一人の偉大な蒐集家が逝った。著書の中の言葉を結びに、今はただ静かにその冥福を祈りたい。

 

平成23年11月27日

 

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