ああ札幌雪祭り

 

 大学卒業後から就職までの1年半を過ごした札幌。思い出は数多くありますが、その中でも雪祭りに参加できたことは最も印象深い思い出の一つです。
 雪祭りに参加するには、先ず抽選により参加権を獲得しなければなりません。少しでも当選確率を上げるため私と相方の2名で抽選会に臨みました。会場は市民会館で、私たちが到着した頃にはすでに多くの参加者でごった返しています。ざっと見たところ倍率は3倍ほどでしょうか。抽選が始まり、当選番号がどんどん呼ばれていき、当選者はすぐに正式な申込書を作成しなければなりません。中盤ほどで先に相方の番号が呼ばれました。これで、最低限の席は確保できたわけですから、もう自分が外れても大丈夫だと安心していると、すぐに私の番号も呼ばれました。思いがけずのダブル当選でした。
 抽選会が終わる頃には、落選が決まり泣き出す人もおり、中には番号を聞き違えて当たっていたのに飛ばされてしまい、泣く泣く役員に詰め寄るも受け入れられない人もいました。それぞれ悲喜交々の様相を呈しながら、雪祭りにかける札幌市民の執念を垣間見る思いで、2席確保した私たちは、1チーム8人の2チームで雪像作りに取り掛かることになりました。テーマは北海道らしく「牛」!!
 後日当選場所を確認すると、2メートル四方ほどの巨大な雪のブロックが台座の上に鎮座しています。ここからデザインに沿ってこつこつと削りだしていくわけです。期間は1週間。授業が終わると、時間いっぱいまで皆で雪像作りに精を出します。 雪像作りはみな初めての経験で、1日2時間くらいしかかけられないということもあり、なかなか思うように進みません。それでもわいわい騒ぎながら、少しずつ出来上がっていく様子を眺めるのは実に楽しいものです。
 最後の仕上げの日、よりによってひどい吹雪となってしまいました。たまたま先に大通公園に出ていた私は、とりあえず一人で作業することにしました。さすがの道産子たちもこのときばかりは姿をひそめ人通りはほとんどありません。それでも、私は他のメンバーが到着するまで、無心で雪像を削り続けました。公演のスピーカーからは、まだデビュー間もない宇多田ヒカルの「Automatic」が流れていて、まだ名前も知りませんでしたが、素人ながらこの曲は売れるなと直感しました。指がかじかんで動かなくなった頃、雪が止みナイター用の照明が点灯していました。
 「あんな吹雪の中でやってたの?」と驚くメンバー。差し入れに持ってきてくれたカップラーメンを寒空の下かきこみながらさらに作業を続けました。空腹で冷え切った体には本当にありがたい。ラーメンは大好きでいろんな店を食べ歩いてきましたが、このときの味を越えるものはないような気がします。
 あれからもう10年以上が経ちます。札幌で過ごした最初で最後の冬の思い出です。
*雪祭りではかつて毎年シリーズもののキーホルダーを販売していたが、このときはすでになかった。                  

平成23年2月11日

 

←前へ   次へ→

 

ホーム    → 出発の前に    → 想い出コラム    → リンク集    → 掲示板    → メール