コラム1 忘れえぬ旅

    高校生クイズ東北大会

 

 私が初めて自主的に旅行を計画し実行したのが、日本テレビの高校生クイズの東北大会でのこと。

 子供のころからウルトラクイズが好きで、高校に入ったら高校生クイズに出ようと決め、クイズ愛好会に所属しました。

 高校一年の大会は、タイミング悪く期末テストの前日となってしまい、私の一組のみの参加となってしまいました。

 会場は秋田県の田沢湖。当時はまだ秋田新幹線こまちも開通しておらず、八戸から盛岡経由で特急たざわに乗り、五時間かけ田沢湖駅に到着。

駅前には会場行きのバスが待機しており乗り込むと、なんと空からとめさん(福留功アナ)が手を振っているではありませんか。

テレビに映っている、そして憧れの高校生クイズに来たのだという実感が沸き、ひどく興奮したのを思い出します。

結果は、まさかの一問目敗退。

先生の反対を押し切ってまで強行出場したのにという絶望感からか、田沢湖の湖面が妙に青く見えましたね。

せっかく遠出してきたのだからというので、帰りは盛岡駅で名物のじゃあじゃあ麺を食べました。味はよく覚えていません。やはり相当悔しかったのでしょう。

      

高校二年の夏、メンバーを一新し準備万端で臨みました。

会場は岩手県の北上川。愛好会の十五チーム参加ということで、貸し切りバスで出発。

念願の一問目を正解し、あれよあれよという間に、周りのチームが消えていきました。残念ながら、あと一問でイエスノークイズ突破という七問目で力尽きました。

我が愛好会は予選で全滅。会場の混雑が収まるまで時間があるので、みんなで花巻のイトーヨーカ堂まで歩いて昼食をとりました。

帰りの車中は、みんな疲れたのでしょう、静かです。私も、ビデオで流れていた「バックトゥザフーチャー2」をぼおっと眺めていたのですが、気がつくと寝ていました。

 

満を持しての最後の大会は、会長に就任し、愛好会の枠にとらわれずできるだけたくさんの人に参加してもらおうと、校内放送で宣伝したりして、計三十チーム九十人をかき集めました。

会場は宮城県の仙台つつじヶ丘公園。2台の貸し切りバスという大所帯でいざ仙台へ。

私のチームは、新たに女の子一名を迎えた新チームで知識のバランスも整え、今年はいけるという自信がありました。が、結果は六問目で敗退、夢の予選突破はなりませんでした。

しかし、一チームがペーパークイズまで進出したので、優勝してくれることを願いつつ、空き時間で他のチームと松島見物に行くことにしました。

負けたことも忘れ、初めて目にする日本三景に素直に感動しましたね。五大堂など見学しているうちにあっという間に時間が過ぎ、あわてて土産屋に駆け込みキーホルダーを買いました。仙台に戻ると、最後の一チームも惜敗しすでに出発の準備をしています。

帰りのバスに揺られて外の風景を眺めているとき、そこで自分の高校生クイズへの挑戦が終わったのだと改めて身に染みて思い出され、自然と涙が出ていました。

そして、気持ちを切り替え、次はウルトラクイズだと胸を弾ませ、大学受験に取り組んだのですが、これまた失敗してしまい地元で一浪しているときのこと。

東京の予備校で浪人している友人から、「ウルトラクイズがなくなるらしいぞ。」と一本の電話。

まさかな、と一笑にふしていたところ、噂どおりそれからウルトラクイズが復活することはなかったのです(一回だけありましたが)

 

修学旅行とは違い、自発的に外の世界に飛び出す機会を与えてくれた高校生クイズの存在は、私の人生にとって計り知れない影響を与えました。

今にして思えば、高校生クイズ、ウルトラクイズ、両番組に共通している要素として旅というものがあり、そこに大きな魅力を感じていたのかもしれません。

 

 

次へ→