水戸黄門(みとこうもん)は、江戸時代の幕藩体制下において、水戸藩主が中納言に叙せられた場合に称される漢風の別称であるが、特に徳川光圀が有名であり、光圀主従が世直しのために諸国漫遊の旅をするという物語・時代劇そのものを指す用語として用いられる。かつては、水戸黄門漫遊記(みとこうもんまんゆうき)と呼ばれた。メディアとしては、講談・歌舞伎・演劇・小説・映画・テレビドラマ・漫画・アニメなどに広く及ぶ。時は元禄、「犬公方」こと5代将軍徳川綱吉の治世。藩主を隠居して黄門(中納言の唐名)となった光圀は、お供の俳人を連れて、諸国漫遊を兼ねて藩政視察の世直しの旅に出る。悪政を行なう大名・代官などがいれば、光圀は自らの俳号「水隠梅里」を書き記すなどしてその正体をほのめかし、悪政を正す。お供は明治の講談以降、佐々木助三郎と渥美格之進の二人に定まった。現実の光圀は、家臣の佐々十竹(さっさじっちく、佐々介三郎、佐々宗淳)らを各地へ派遣しており、彰考舘総裁であった佐々と安積澹泊(あさかたんぱく、安積覚兵衛)の二人が助さん・格さんのモデルと見られている。家臣の藤井紋大夫を斬殺したことなども脚色された。幕末から大戦前の講談・小説などでは、湊川神社に楠木正成の墓参に行くなどの尊王論的色彩が強かったが、大戦後の映画やテレビドラマではそのような尊王色は払拭されていった。
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