古代の毛野国(けぬのくに)の分割によって、上毛野国(かみつけぬのくに)として成立した。その後、713年(和銅6年)の諸国郡郷名著好字令(好字二字令)により、上野国との表記になった。当初、碓井以下13郡であったが、711年(和銅4年)に14郡となった。もと上国であったが、811年(弘仁2年)に大国に変更になり、間もなく、上総国、常陸国とともに親王が国司の長官を務める親王任国となった(天長3年(826年)旧暦9月6日後より)。そこで、吉良義央が名乗ったように、国司の実質的長官は次官(すけ)の上野介であった。良馬の産地として勅旨牧がおかれた。全国に10余りしか現存しない奈良時代以前の石碑のうち、3つが多胡郡にある。藤原宮木簡には、上毛野国と表記。国府は群馬郡にあった。現在の前橋市元総社町付近と推定されている。江戸時代には、沼田藩、 前橋藩、 安中藩、 高崎藩、 伊勢崎藩、 七日市藩、 吉井藩、 小幡藩、および館林藩が置かれた。この他、明治維新まで実質的に命運を保つことができなかった藩として総社藩、 那波藩、 板鼻藩、 矢田藩、 上野豊岡藩、 大胡藩、 白井藩、 青柳藩、 上里見藩および 篠塚藩がある。
|