お土産キーホルダーでめぐる日本全国ぶらり旅

福島県 

喜多方  

観光地度★★★★

お土産KH度★★★

  喜多方市(合併前の旧喜多方市)は人口37,043人に対し、120軒ほどのラーメン店がある(対人口比では日本一)。札幌ラーメン博多ラーメンと並んで日本三大ラーメンの一つに数えられることもある。喜多方では中高年層を中心に「そば」と言えばラーメンを指す事が多いが、この地域一帯はいわゆる「蕎麦」の産地でもあるため、ラーメンの事を指すときは「支那そば」と区別して呼ぶこともある。現在、喜多方市はラーメンの街としてその名が馳せているが、喜多方市の観光の原点は、「」から始まる。 市内で写真館「金田写真荘」の金田実が、四季を通して蔵の写真を500枚ほど撮り、その写真展を東京で開催したことで「蔵のまち喜多方」が浸透した。そのような流れの中、1975年(昭和50年)、NHKの「新日本紀行」で、「蔵のまち喜多方」が紹介されたことで、喜多方を訪れる観光客が急増した(「新日本紀行」での放映は、NHKプロデューサー須磨章が著した「蔵の夢」(三五館出版)に詳しい)。喜多方市は、「新日本紀行」をきっかけに蔵の街として観光客が訪れる街となったが、一方で、蔵の観光だけでは、2、3時間程度の滞在となり、観光収益の増大のためには観光客の滞在時間の増加が課題となっていた。1982年(昭和57年)頃、市の商工観光課の職員は、団体の観光客の滞在時間増加を図るため、団体客のための昼食場所を探し始めたが、市内の日本料理屋には団体客を受け入れるスペースなどがないことから、市の御用達としているラーメン店に目をつけ、団体客用の昼食場所として、観光業者に紹介を行った。市が紹介したラーメン店は「まこと食堂」であったが、1杯数百円の安い値段のお店を昼食場所に紹介することに一抹の不安もあったことから、民放の関係者を「まこと食堂」に連れて行き、意見などを聞いた結果、「まこと食堂」のラーメンが特徴的であるとのことから、民放のテレビ番組に取り上げられることとなった。同時に、観光協会が買い上げている日本交通公社(現JTB)の「るるぶ」のPR記事1ページ分に喜多方ラーメンが紹介され、更に、NHKなどでも取り上げられたことから、喜多方ラーメンが1982-3年頃よりブレイクすることとなった。

 

 喜多方

 

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