お土産キーホルダーでめぐる日本全国ぶらり旅

福島県 

鶴ヶ城  

観光地度★★★★★

お土産KH度★★★

  慶応4年(1868年戊辰戦争の際には会津戦争にて会津勢の立て篭もる若松城は1ヶ月の間持ちこたえ、板垣退助勢に、薩摩の援軍の助けをかりても遂に城は落ちなかったが、その後開城された。戦後、天守を含む多くの建造物の傷みは激しく、その後も放置されたまま破却を迎えている。明治元年(1868年)9月に開城すると新政府軍の手に渡され、翌年から兵部省の所管となり、後に仙台鎮台が管理した。明治2年(1869年若松県庁が本丸内の建物に置かれたため、若松県が管理を委任されていた。明治6年(1873年)1月、明治政府による『全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方』により存城処分と決定(すなわち陸軍省財産に決定)された。同年12月には『旧若松城廃毀之儀ニ付建言』[3]により福島県権令澤簡徳から政府に城郭建造物の取壊しが建言された。明治7年(1874年)1月には、「旧若松城は営所建築の場所であるので、石垣や立樹等を除き旧来の建物で必要無いものは取壊し払下げすべく取り計らう事」(陸軍省から仙台鎮台へ達)[4]とされ、同年までに天守をはじめとする建造物は総て解体された。本丸にあったその一部である「御三階」が明治3年(1870年)市内の寺院「阿弥陀寺」(会津若松市七日町)に移築され、現存している。本丸の大書院の唐破風の表玄関は、御三階と共に阿弥陀寺に移築され、御三階の玄関に利用されている。また、茶室「麟閣」も城内に再移築され現存している。

 

  

鶴ヶ城

 

  

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