青函連絡船(せいかんれんらくせん)は、青森県の青森駅と北海道の函館駅の間を結んでいた日本国有鉄道(国鉄)・北海道旅客鉄道(JR北海道)の鉄道連絡船である。航路の名称は青函航路。営業キロ上の距離は、113.0km(擬制キロ)とされていた。 旅客と鉄道車両の他に自動車航送(指定駅のみどりの窓口で予約が可能)も行っていた。
1946年7月1日から1949年7月15日までは、GHQより貸与の戦車揚陸艦ではあるが青函連絡船の小湊
- 函館航路もあった。小湊桟橋は平内町大字東滝字浅所にあった。1944年1月から1984年2月1日まで使用された貨物専用の有川桟橋は五稜郭駅の貨車操車場(通称有川操車場、五稜郭貨物駅)に直結していた。本州・北海道を結ぶ動脈の役割を担った青函連絡船は、1973年に利用者のピークを迎えたが、航空機の利用の増加、国鉄の鉄道自体の利用の減少などの要因により、1974年以後は利用が減少傾向に転じ、歯止めは利かずに末期には閑散とした状況を呈した[3]。1986年には、国鉄が荷物、郵便輸送から撤退したのに伴い青函連絡船での郵便輸送が廃止された。青函トンネルが開通するのに伴い、1988年3月13日付で青函連絡船(国鉄青函航路)は廃止され、青函連絡は青函トンネルを走る快速「海峡」や新たに設定された寝台特急北斗星などにゆだねられた。
|
砂山の
砂に腹這い
初恋の
いたみを遠く
おもい出づる日
石川啄木
|