徳川の金鯱の中では最も長く現存していたが、1945年(昭和20年)に名古屋大空襲で焼失している。
焼夷弾で焼失した金鯱の残骸は、戦後GHQに接収され、のち大蔵省に移ったが、1967年(昭和42年)に名古屋市に返還された。名古屋市は残骸から金を取り出し、名古屋市旗の冠頭と、金茶釜に加工して保存している。
現在のものは復元されたもので、復興天守建造のときに、全国でも数えるほどしか残っていなかった鎚金師で大阪造幣局職員の手により復元製造された。一対に使用された金の重量は88kgである。
金鯱の鱗の盗難事件は何度も発生している。江戸時代、大凧に乗って金鯱に近づこうとした柿木金助(かきのききんすけ)の伝説がある。明治以降では3回発生し、犯人はいずれも盗んだ鱗を鋳潰し売却しようとして逮捕されている。ただし、3回目の事件のときは下賜記念事業中だったため、当時の名古屋市長が引責辞任する事態となった。
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