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1612年(慶長17年)名古屋城天守が竣工した当時のものは一対で慶長大判1940枚分、純金にして215.3kgの金が使用されたといわれている。高さは約2.74mあった。しかし、鯱の鱗は、藩財政の悪化により、都合3回にわたって金板の改鋳を行って金純度を下げ続けた。そのため、最後には光沢が鈍ってしまい、これを隠すため金鯱の周りに金網を張り、カモフラージュした。この金網は、表向きは盗難防止(実際に何度か盗難にもあったこともある)や鳥避けのためとされ、戦災により焼失するまで取り付けられていた。1871年(明治4年)に政府に献納され、東京の宮内省に納められた。その後、雄鯱は国内の博覧会を巡り、雌鯱は1873年(明治6年)のウィーン万国博覧会に出品された。金鯱が大天守に戻ったのは1879年(明治12年)2月である。
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