古くからの湯治の地であり、地名は「阿多美」であったが、海から熱い湯が湧き出ていたことから「熱海」とされた。1604年には徳川家康も来湯している。 熱海が一大保養地として発展を遂げたのは熱海線の開通後であるが、保養地としての歴史は豆相人車鉄道開通前にまで遡り、明治初期ごろには既に政財界の要人が保養や会談のため多く訪れていた[1][2]。そのため、東京との連絡が非常に多く、1889年には、東京電信局との間に国内初の公衆用市外通話が開通し、市外電話発祥の地としても知られている[3]。このような背景から、東京や国家の発展を支えた重鎮たちの原動力となった地と見ることもできる。
現在はかつてほどの盛況は見受けられないものの、東京方面からの保養地・日帰り温泉地として相応の賑わいを保っており、いわゆる奥座敷とされている。
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