本尊は、さらに織田信長の手で岐阜へ、豊臣秀吉により京の都へ、更に徳川家康の手で尾張へ移されるなど転々としたが、1598年(慶長3年)秀吉の死の前日に信濃へ帰された。この間大本願の尼衆は本尊に付き従って移動し、大勧進の僧集団は残って本尊不在の荒れ果てた寺地を守ったとされる。
江戸時代には、「お伊勢参り」の帰りに「善光寺参り」を行う場合もあった[1] [2]。鎌倉時代から本尊が秘仏であることは知られていたが、江戸時代に偽仏が出回ったとの事から幕府が元禄5年秘仏を検分する使者を差し向けたとされている。
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