創建は神武天皇1年、紀元前660年と伝えられているが、本当のところはよくわかっていない。『常陸国風土記』では、神代の時代に神八井耳命の血を引く肥後国造の一族だった多氏が上総国に上陸、開拓を行いながら常陸国に勢力を伸ばし、氏神として建立されたのが現在の鹿島神宮の起源だとされているが、倭奴国王印が1世紀中頃のことであり、卑弥呼が3世紀前半の人物であり、倭の五王が5世紀の人物たちである、ということを考えると、鹿島神宮の創建が紀元前7世紀であるとは考え難いという意見もある。平安時代に、「神宮」の称号で呼ばれていたのは、延喜式神名帳によると伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の3社だけだった。鹿島神宮・香取神宮共に蝦夷に対する大和朝廷の前線基地であった。 鹿島神宮には鹿園があり、神の使いとして親しまれている30数頭の日本鹿が飼われている。鹿園の説明書き等によると、鹿の神である天迦久神(あめのかくのかみ)が天照大御神の命令を武甕槌大神の所へ伝えにきたことに由来し、鹿島神宮では鹿が使いとされている。また、藤原氏による春日大社の創建に際して、767年(神護景雲元年)に、白い神鹿の背に分霊を乗せ多くの鹿を引き連れて1年かけて奈良まで行ったとされている。鹿島の神鹿は長い歴史の間に何度か新たに導入されており、現在飼われているのは奈良の神鹿の系統を受けている。昼間は鹿園そばの売店で鹿の餌を売っており、園内の鹿に与えることができる。英語で鹿の枝角をアントラー (antler) と言い、鹿島アントラーズのチーム名の由来ともなっている。
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