日光男体山の麓の戦場ヶ原には、男体山の神と赤城山の神が大蛇と大ムカデになって戦い、男体山の神が勝利をおさめた、という伝説がある。赤城山の北にある老神温泉の地名は、このとき落ち延びた神が追われてやってきたことに由来するといわれ、また「アカギ」という山名も神が流した血で赤く染まったことから「赤き」が転じたという説もある。江戸川沿いにある千葉県の流山市には、赤城神社の祀られた小山があり、大洪水の際に赤城山の山体の一部が流れてきたものだ、という伝説がある。「流山」という地名はこれに由来するという。赤城山といえば、上州・国定忠治。明治、大正、昭和初期に講談や新国劇の題材として大人気だった。国定忠治の一節の「赤城の山も今宵限り・・・かわいい子分のてめえ達とも、別れ別れになる門出だぁ」の台詞で、この山の名前が全国に広がった。
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