お土産キーホルダーでめぐる日本全国ぶらり旅

群馬県 

水上  

観光地度★★★★★

お土産KH度★★★

  開湯伝説としては、永禄年間に海翁和尚が利根川の崖から立ち上る煙を発見したのが草創と伝えられる。水上温泉が有名になったのは、若山牧水の「みなかみ紀行」であり、この頃には既に20ないし30の宿が構えていたと記されている。もっとも清水トンネルが開通するまでは、一帯は隔絶された深山幽谷の温泉地として知られた。しかしながら、温泉情緒と雄大な渓谷美の自然が調和した温泉として多くの文人に愛され、牧水以外にも太宰治北原白秋与謝野晶子など多くの文人墨客が訪れたという。当時は水上温泉という名ではなく、湯原温泉と呼ばれた。今日でもこの地名を用いることがある。1931年昭和6年)に国鉄の上越線が開通すると首都圏の奥座敷として注目を浴び、以後は特急谷川の運行や自動車道の整備、接続などにより、団体旅行客を多数収容できる県下有数の行楽温泉地として発展した。平衡して歓楽的要素も強くなり、飲み屋やショーパブなども多く出店して、大規模な風俗街を形成した。しかし、それにより熱海鬼怒川同様、閉鎖的な温泉街を形成し、バブル経済崩壊後、団体旅行客の減少や旅行客のニーズの変化に伴って急激に衰退を余儀なくされた。今日では生き残りを賭けて、従来のイメージを払拭すべく、豊かな自然に着目し、一帯をレクリエーション拠点と位置付け、スキーラフティングなどのアウトドアスポーツに力を入れ、レジャー一体型の温泉保養リゾートを目指しており、一定の成果が見られるようになっている。なお、同様の路線で旧套から蝉脱し、活路を見出している温泉地としては、岡山県の湯郷温泉が知られる。

 

  

 水上温泉ニュー松の井ホテル

 

  

 水上温泉・谷川岳

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