お土産キーホルダーでめぐる日本全国ぶらり旅

福島県 

会津  

観光地度★★★★★

お土産KH度★★★★★

  律令制度下で陸奥国が設置され、その中のの一つとして会津郡が設置された。その後、平安時代に入ってから耶麻郡が分離され、更に大沼郡河沼郡が分離され、以後は会津郡とこれら3郡を総称して会津四郡と呼ばれる事となる。江戸時代には会津藩の領地となり、藩の殖産興業政策によりそれ以来は漆器産業等の伝統工芸が多く立地している。会津藩は、幕末には松平容保京都守護職になって孝明天皇の信任を得たものの、孝明天皇の死後は薩摩藩長州藩を中核とした明治政府軍と対立し、戊辰戦争では白虎隊に象徴される惨劇の舞台ともなった。そして、廃藩置県を前にして、会津藩の領土は、明治政府民政局による直轄地とされた。廃藩置県でも、会津藩の領土を範囲とする若松県が成立したものの、1876年8月21日には、磐前県浜通り)や福島県中通り)と合併させられて、現在の福島県の一部とされた。そして、県庁も会津若松から遠く離れた福島に置かれ、何度か請願された会津地方に近い郡山への県庁の移転も拒否された。一方で、明治政府の中核となった肥前藩(佐賀藩)が、会津藩の半分位の面積だけで佐賀県を分立できた事から、福島県の成立を、会津藩と薩長の敵対の結果だと見る人がいる。

 

  

 会津武家屋敷

 

  

 会津

 

  

 会津

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