お土産キーホルダーでめぐる日本全国ぶらり旅

宮城県 

塩釜  

観光地度★★★

お土産KH度★

   多賀城陸奥国国府が置かれた頃、国府の外港として、今の塩竈市内には国府津(こうづ)がおかれた(→仙台湾の港の歴史)。今の香津地区にあたると言われる。香津は内陸にあるが、古代には入り江が二つ、深く入り込み、南側の入り江に国府津があった。北側の入り江の北側に、海に面して鹽竈神社があった。港町と鹽竈神社は海を隔てて少々距離があったことになる。陸奥国府が多賀国府(たがのこう)として七北田川沿いの岩切に移転すると、河口港の湊浜が国府最寄りとなり、塩竈の外港としての意義は薄れたが、以後は鹽竈神社と港湾を中心にして、中世にも町として続いた。町の名は神社からとられて塩竈となった。江戸時代に伊達政宗仙台に本拠を置くと、塩竈はその外港として発展をはじめた。しかし、塩竈から仙台まで舟入堀舟曳堀が引かれて物資が塩竈港を素通りするようになると衰微しかけた。鹽竈神社を尊崇した伊達綱村は事態を憂えて1685年に塩竈から課役を免除し、米以外の産物に塩竈への着岸を義務付けた。これによって町は活気を取り戻した。明治時代のはじめに塩竈は人口約3500人を数えた。1887年に、今の東北本線の前身にあたる日本鉄道は、埠頭と直結する塩竈駅(現在の塩釜駅とは別)まで線路を敷いた。このことで、宮城県、あるいは東北地方における陸海の物流の結節点となり、流通業が大きく発展した。そして、のちにカメイやまやなどの宮城県を代表する企業が生まれた。仙台港の開港以降、陸海の結節点の地位はそちらに移り、現在の港は漁港化している。

 

  

塩釜

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