お土産キーホルダーでめぐる日本全国ぶらり旅

秋田県 

小野田直武  

観光地度★★★★★

お土産KH度★★★

  小田野直武は秋田藩角館に生まれる。角館は、佐竹家の分家である佐竹北家が治める城下町であった。幼少より絵を好み、狩野派を学び、また浮世絵風の美人画も描く。やがて絵の才能が認められ、佐竹北家の当主佐竹義躬、秋田藩主佐竹義敦佐竹曙山)の知遇を受ける。安永2年(1773年)7月、鉱山の技術指導のために、平賀源内が秋田を訪れ、直武と出会う。一説には、宿の屏風絵に感心した源内が、作者である直武を呼んだという。源内は直武に西洋画を教えた。伝説では「お供え餅を上から描いてみなさい」と直武に描かせてみせ、輪郭で描く日本画では立体の表現は難しく、西洋絵画には陰影の表現があるのでそれができると教えたという。源内自身は「素人としては上手」という程度の画力であるが、遠近法、陰影法などの西洋絵画の技法を直武に伝えた。同年10月、源内は江戸へ帰る。同年12月直武は「銅山方産物吟味役」を拝命して江戸へ上り、源内の所に寄寓する。そのころ、前野良沢杉田玄白らによる『解体新書』の翻訳作業が行われていた。図版を印刷するため、『ターヘル・アナトミア』などの書から大量に図を写し取る必要があった。杉田玄白と平賀源内は親友であり、おそらく源内の紹介によって、小田野直武がその作業を行うこととなる。実は既に安永2年中に、『解体新書』の予告編である『解体約図』が発行されており、その図は熊谷儀克が描いていた。『約図』と『新書』の図を比べると、やはり直武による『新書』の方が、陰影表現の点で優れている。直武は『解体新書』の序文に「下手ですが、断りきれないので描きました…」といった謙虚なことを書いている。

 

  

 角館

 

  

 角館

 

  

 角館

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