お土産キーホルダーでめぐる日本全国ぶらり旅

岩手県 

南部鉄器  

観光地度★★★★

お土産KH度★★★

  南部鉄器(なんぶてっき)は、岩手県盛岡市奥州市水沢区で作られる鉄器。北上川沿いの両地域では、などの材料が豊富にある。1975年には伝統工芸品に指定された。盛岡、水沢とも、盛岡藩仙台藩の庇護の下、発展してきたが、この後ろ盾が明治維新により消え去り、衰退を余儀なくされる。しかし、生産と流通の体制が整い、展覧会にて入賞するなど名声を高まると、各地からの注文が増える。さらには、1890年明治23年)の東北本線開通と相まって(盛岡、水沢とも、これに接していた)一気に販路拡大となった。明治末には、再び停滞気味になるが、1908年(明治41年)の皇太子(後の大正天皇)東北行啓の際、八代小泉仁左衛門が鉄瓶の製造を実演して見せて話題を呼んだことをきっかけに、県や市を挙げての取り組みが始まる。1914年大正3年)には、旧盛岡藩南部利淳が「南部鋳金研究所」を開所。人材育成にも貢献した。次第に戦争の足音が聞こえ始めると、鉄の素材とその技術は兵器に利用されるようになる。戦時体制により「銑鉄物製造制限規則」が施行され、平和工作物の製造が禁止された。武器製造を第一とされ、150人いたといわれる職人のうち、わずか16人の生産しか許されないことになる。終戦後は、アルミニウム製などの軽い製品に押され、需要は減り、衰退する。それに対し、デザインを新鮮にしたり、新製品をもって対抗した(例えば、避けの鈴を作ってみたりなど)。最近では、海外への輸出用に鉄瓶に色を付けることなどもしている。また、昨今の健康ブームに乗って、南部鉄器で調理するとが摂れるとのことで、復調の兆しが見えている。

 

  

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