船木 誠勝(ふなき まさかつ、1969年3月13日 - )は、日本のプロレスラー・格闘家、俳優。青森県弘前市出身、弘前大学教育学部附属中学校卒業。本名は船木
優治(ふなき まさはる)で、若手時代は本名でリングに上がっていた。新日本プロレスは一度不合格になっているが、高校入学の前日に山本小鉄に気に入られ入団、同期に武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋、野上彰(現AKIRA)。当時史上最年少記録である15歳11ヶ月でデビュー(現在の最年少記録は中嶋勝彦)、26歳で入門した同じヤングライオンの後藤達俊との年齢差が話題になる。デビュー前から女性ファンによるファンクラブが結成されていた。第1次UWFとの抗争では野上彰(現AKIRA)とのタッグで前座の名勝負を繰り広げ、新日サイドからは次代のエースとして期待される。しかし、1989年に、前田日明、藤原喜明の誘いに応じヨーロッパ遠征中に第2次UWFに入団。このことに関してアントニオ猪木は「プロレスに移籍は無いが、特例で移籍とした」と話している。UWFでは真剣勝負での興行を直訴するが前田ら上層部に時期尚早としてはねられ、後に理想の団体の設立を盟友鈴木みのると模索するようになる。1990年12月に第2次UWFが崩壊すると、藤原組の旗揚げに参加。藤原組のエースとして試合を重ねるも、より格闘技的な路線を志向したために、次第に藤原の志向との溝が深まり、1992年12月に藤原組を離脱した。藤原組離脱後は、どの団体にも所属せず、鈴木みのる、高橋義生(現高橋和生)らとともに練習を重ね、パンクラスを組織。1993年9月21日、パンクラス旗揚げ戦を行う。船木はメインイベントでケン・シャムロックにスリーパーホールドで一本負け。完全実力主義を標榜するプロレス、総合格闘技団体であるパンクラスを設立し、自らエースとして第一線で活躍した。2000年の引退後も運営や方向性の面で積極的な寄与を行う。現在は俳優業・HERO'S等格闘技番組のコメンテーター等で活動中。かつてパンクラスとの関係を一切断つ絶縁宣言をした前田日明との関係を復活させた。2005年9月には前田の前で、プロレス復帰を匂わせていたが2006年2月で立ち消えとなった。
|