徳川 家康(とくがわ いえやす)は、日本の戦国武将・江戸幕府の初代征夷大将軍。徳川氏の祖。本姓は当初藤原氏、次いで源氏と名乗った[1]。家系は三河国の国人土豪・松平氏。永禄9年12月29日に勅許を得て徳川氏に改姓。通称は次郎三郎。幼名は竹千代。
永禄3年(1560年)5月、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれた際、今川軍本隊とは別働で、前線の尾張国・大高城を攻略中であった元康は、大高城から撤退。今川軍が放棄した岡崎城に入ると、祖父・清康の代で確立した三河国の支配権回復を志し、今川氏から独立する。藤波畷の戦いなどに勝利して、西三河の諸城を攻略した。永禄5年(1562年)には、先に今川氏を見限り織田氏と同盟を結んだ叔父水野信元の仲介もあって義元の後を継いだ今川氏真と断交して信長と同盟を結んだ(清洲同盟)。
|