江戸時代が終わり明治時代にはいると、いったんは宿場町としての機能を失って没落。しかしその後、1886年にカナダ人宣教師のアレクサンダー・クロフト・ショー(Alexander
Croft Shaw, 1846年 - 1902年)がたまたま訪問し、故郷のトロントと似ていると感じたことから1888年に別荘を設けて、避暑地としての軽井沢の歴史を切り開いた。同年には信越本線の長野方が開通して軽井沢駅が設けられ、1893年には碓氷峠を越える部分の鉄道も開通して東京と直結。その後、宣教師・知識人・文化人の間で人気を博し、日本三大外国人避暑地の1つに数えられるようになった。
1918年には西武資本が開発に参入、1945年には東急資本も開発に参入し、その後は東京を後背地として持つリゾート地としての立場を確立している。ビートルズのジョン・レノンが、ビートルズ解散後の70年代中期から亡くなる80年まで毎年のように、夏に家族連れで長期間滞在していたこと、避暑地の中にある「軽井沢会テニスコート」が皇太子明仁親王(当時)と正田美智子の出会い(1958年)の場所であることなども、広く知られている。
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