風林火山は、孫子に記された「其疾如風 其徐如林
侵掠如火
不動如山(その疾(はや)きこと風の如く、その徐(しず)かなること林の如く、侵(おか)し掠(かす)めること火の如く、動かざること山の如し)」(孫子ではこの後に「難知如陰 動如雷霆 (知り難きこと陰の如く、動くこと雷霆(らいてい=雷)の如し)」と続く)という語句を略したものである。信玄もこれをもとに軍旗に「疾如風徐如林侵
掠如火不動如山」と書いて戦った。また、その軍旗は恵林寺の住職快川紹喜の書と伝わり、武田神社に現物が収蔵されている。ただし、武田信玄が使ったことで有名ではあるが、信玄が最初と言うわけではない。風林火山の旗印は信玄より200年ほど前の南北朝時代に北畠顕家が陣旗として使っていた。とは言え一般的には武田信玄=風林火山と言う印象は強く、その名を冠した作品は多い。
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