主な地形として、岩畳 (三波川変成帯[1]と呼ばれる変成岩帯が地表に露出しているところ。なめらかな壁面は、南北方向にのびる垂直の割れ目(節理や断層)にそって、岩がはがれ落ちて形成されたと言われている。)、秩父赤壁
(荒川による侵食のため急な崖で、特に岩畳付近の対岸のことを指す。中国揚子江が刻んだ「赤壁」に因んで名付けられた。黒色片岩中の鉄分が染み出し、酸化したため赤くなったという。)、ポットホール (荒川の急流が屈曲部で渦をつくり、岩石の河床の凹部に閉じ込められた礫や小石が河床をすり鉢状に削り取ったもの。大きいものでは大人がすっぽり入れるほどのものもある(長瀞町井戸)。
)、スティルプノメレン片岩(通称:虎岩、表面の紋様が虎の毛皮のようになっている幅15mほどの結晶片岩(スティルプノメレン片岩[3])。茶褐色の鉱物・スティルプノメレンや白色の石英、方解石からなる模様からこの名前がつけられたという。地中深くでできた褶曲が見られる。1916年(大正5年)に長瀞を訪れた宮沢賢治は、虎岩を次のようにうたったといわれる。つくづくと「いきなもやうの博多帯」荒川岸の片岩のいろ )などがあり、この他にも、褶曲、断層、不整合、懸谷、インブリケーション構造、河岸段丘などを見ることができる。
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