名取川にそって旅館ホテルが建つ。「秋保・里センター」を中心に広がる。初めに温泉街として発展したのは「秋保・里センター」の西側に当たる湯元地区である。この地区には平安時代に起源を有する宿のほか、数百年の業歴を持つ旅館が建ち並んでいる。温泉街には、仙台都心から20-30分と近く、高級ホテルのスイートルームに匹敵する部屋(離れ)を有する施設が複数存在し、仙台都市圏で最高の価格とサービスを提供しているため、賓客接待にも用いられている。同様に松島にも高級ホテル・旅館が存在することから、仙台都心にいわゆる高級ホテルが立地出来ない要因ともなっている。開湯時期は不明だが、古墳時代にはすでに存在したとする説も存在する。秋保温泉が歴史に登場するのは、第29代欽明天皇の代である。在位中(531年〜539年)に小瘡(皮膚病)に感染し、八方手を尽くして治療を行ったが一向に治らなかったが、秋保温泉の湯を搬送させ沐浴したところ数日で全快したとされ、天皇はその喜びを歌に詠んだ。“覚束な雲の上まで見てしかな鳥のみゆけば跡はかもなし”(な鳥のみゆ=名取の御湯)
以後、秋保温泉は皇室の御料温泉の一つとして位置づけられ「御湯」の称号を賜り、別所温泉(信濃御湯)、野沢温泉(犬養御湯)(あるいはいわき湯本温泉(三函御湯))と共に「日本三御湯」と称せられるようになった。「名取の御湯」は、「拾遺集」「大和物語」などにも歌われている。周辺には磊々峡(らいらいきょう) 、
秋保大滝などの景勝地もある。
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