お土産キーホルダーでめぐる日本全国ぶらり旅

岩手県 

南部藩  

観光地度★★★★★

お土産KH度★★★★★

  盛岡藩(もりおかはん)は、現在の岩手県中北部(陸中国・旧陸奥国中北部)から青森県東部(陸奥国)にかけての地域を治めた。一般に「南部藩」とも呼ばれるが、江戸時代に「盛岡藩」と改められたため、これは旧称である。後に八戸藩と七戸藩が分かれた。藩主家は南部氏で、居城は盛岡城陸中国岩手郡、現在の岩手県盛岡市)である。家格は外様大名で、石高は表高10万石であるが、内高は多く幕末に表高20万石に高直しされた。廃藩置県により、盛岡藩は岩手県だけではなく、青森県にも編入された。現在の青森県域については、江戸時代中期以降の盛岡藩領と八戸藩領が共存している。いわゆる「南部」と呼ばれる地域は、ほとんどが旧盛岡藩領である。また、下北地方も旧盛岡藩領である。八戸市周辺から岩手県久慈市に到る海岸に沿った九戸郡を含む領域と志和4ヵ村は、旧八戸藩領である。志和4ヵ村は収穫量5000石の飛び領で、周辺の盛岡領の農民が八戸領農民を圧迫し、八戸の役人がたびたび交渉に赴き、ついには討って出ると迫って八戸領農民の権益を保護するなど、争いの地でもあった。

 

  

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